自然に、ということ

私がご一緒するカウンセリングの時間は、派手ではありません。
ああ、とってもいいことしてもらった! 
という手ごたえはほとんどないのではないでしょうか。

達成感みたいなものとは無縁な感じ。

それを大事にしています。

よし、こうやってがんばるぞ! なんていう言葉になることも、
ない、とはいえないけれど、
少ないのではないでしょうか。

緊張感がほっと緩む、程度のことはあるかもしれないし、
中には、ああ、自分は、こんなふうに変化してきたんだ、
と発見できることもあるかもしれません。

でも、それは強烈なこととは違う、あくまでも、自然な感じだと思います。

何となく楽になってきたけれど、次回を予約してお帰りになる。
しばらくして、「もう大丈夫そうだから」とキャンセルの
ご連絡がはいったりする。

簡単にその仕組みを書いてみます。

ありたい自分と現実の自分のギャップに苦しんで
くたびれてしまうとき、そのギャップを少しでも
減らすことが、心身共に、前進には必要と思います。

そのギャップが1ミリでもすくなくなるように、
それが、「自然に」の意味に思います。

「よーし、今度こそ、こうやればよくなるぞ!」という
スローガン、目標が、一時的には元気になれても、
余計に疲れてリバウンドしてしまうほうが
長い目で見るとダメージになりかねないと思います。

1回のカウンセリングの終わりのタイミングで、
ただただ、矛盾のギャップが少ない状態であれば、
現実を否定するような高い目標を言いたい気持ちに
なっていないことでしょう。

そこが、自然体として、物事に取り組める状態に
なれているところなのではないか、と考えています。

自然に、自分自身でいる、という状態で
いられることが、その自分を生かす道を
歩くスタートになることと思います。

自分本来を信頼できるときには、
強烈な借り物は必要ないのです。

そういう状態が少しでも訪れるには、
どんな時間を過ごせばいいのか、
おひとりおひとりの道をご一緒に
探し出すことをやっていきたいものです。

言うは安し、行うは、気が遠くなるほどの・・
でも投げ出さずにいたいと思っています。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

生きざまはアート

芸術とは何たるか、は知らないながらも、
人それぞれの生きるあり様、生き様は、アートだなあと思うことが良くあります。

それは、その人でしかできないことをしているし、
予想外のことが起こるし、
脈絡がないように見えて底流には、
どこか、その人らしさがにじみ出たりしているということだと思います。
環境に押しつぶされることのない、計算ずくでは予測できない、
そんなことだと思います。

その意味で芸術は職業的な芸術家だけの専権のものでないでしょう。
人から見て、評価はいろいろだけれど、
名もないサラリーマン、主婦もそれぞれが芸術家に思えます。
別に作品を作るわけでもないんです。
日々、どう暮らしていくか、という営みそのものがその人のアートです。
それを記録するかどうか、表現をするかどうか、は、問題ではありません。
たまたまその表現に秀でた方々が、プロとしてのアーティストになるのでしょう。

そんなことで、カウンセリングの場面では、いろいろなアートな表現に出会います。
本当は、生きているだけで、生き生きしているのですが、
たまにしか会わないカウンセラーとは、いろいろな
表現で、お互いに理解しようとするからでしょう。

そのうち、通常の言葉だけでは、飽き足らなくて、違った表現の形を
見せていただけることがあります。
ぐっとお腹に響くような含蓄のある言葉、
書き綴った詩、文芸、また、イラスト、写真、歌、踊りなど。
印象的な夢のこともあります。
実生活に近い、将来の事業プラン、家族設計、などなど。

その場の言葉だけでは、おさまらない、
その方のいのちなのだなあ、と思います。

いろいろなものに触れる機会をいただいて、
理解しようとして私に何がわかったかは、
すこぶる心もとないですが、
作品のよしあしでなく、
次々に創造的に動き出すいのちのすばらしさに、
大きな喜びを感じます。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp


0 comments

なんで、大人は飲み込みが悪いのかな?

教師をしている友人が嘆いていました。

「部下を何度指導しても、ぜんぜん身につかないんだ。
子供のほうがずっと頭がいい。」

まあ、若いほうが適応力が高いというのは、ありそうなことです。
じゃあ、年をとることはそんなに悲観的なことなのでしょうか?

ひとまず教え方の問題は横において、
教わる側についてのことを書いてみます。

私たちには人生経験からくるその人なりのものの捉らえ方、
価値観がたくさんあります。
それは、子供よりも大人のほうがより多くもっているでしょう。

それがあるからこそ、あいまいな状況の中で
私たちは、うまく判断して対応ができているし、
改善活動ができるのでしょう。
いきなり奇抜なものを鵜呑みにする
破滅的行動を避けることもできるのでしょう。

ところが、他人から物事を教わるときに、この価値観があるために、
勝手に推測してしまったり、葛藤が起きたり、
違う意味に捉えたりすることがあります。
何もなければ、聞いていないことは「わからない」と自覚できるし、
聞いたことはそのままに受け取れるのに。

大人と子供の飲み込みの違いは、こういう要因にあると思います。
大人は今までのその人の生き方と整合性をとりながら、
新しい知識や技能を取り入れていく、ということなのだと思います。

やる気がないとか、頭が悪いとか、いうことではないでしょう。
下手に自分を責めると、エネルギーが消耗してしまいます。

頭がいいから、いろいろに悩むのです。
悩むから、極端な方向に走らないですむのです。
効率が悪いように見えて、安定的な行動をするために
大きな助けになっていることでしょう。

例えば、論理的にあまりにきれいに説明される
詐欺にひっかからないのは、
「そんなうまい話はないよな」というベースが
あるからでしょう。

ただ、どうしてもそれでは、困るというときには、
それまでの思いを横において学習する必要があるでしょう。
あまりにも環境が大きく変わり、従来の価値観が通用しないときも
あるからです。

転職など、前の仕事の常識が通用しなくなったときなど、
新人よりもずっとご苦労されることと思います。
平たくいえば、「初心に返って」とか、「素直に聞く」とか、
そういう態度が求められるのでしょう。

あえて反抗しているつもりは全くないけれど、
素直に飲み込めずに、立ち往生して苦しむことがあると思います。
そんなときに、今までの価値観のうち、不要なことを手放して
本当に大事なことを、再度見出して
新しい環境に適応することが必要になるでしょう。

ひとりでやるのが難しいときに、
カウンセリングでは、ご一緒に
価値観の整理をお手伝い
していきたいと思います。

新しい環境でも、通用する本来の強さを
活かせるようになるかもしれません。
------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp





0 comments

機械を越えた人々

新幹線の先頭車両の独特な形は、
マニアでなくてもかっこいいと思います。

あの部分は、板金職人さんの手作りだそうです。
あの緻密さ、気密の条件、耐久性などなど、
さらにロットが少ない。
機械でやると莫大なコストがかかってしまうそうで。

熟練した人間がやるほうが一番効率的だそうです。
機械よりも効率的、という言葉、なかなか聞けないのですが。

考えてみると、機械は、過去の法則を繰り返しているだけです。
大量生産するには、機械が効率的です。

でも、大きな変化の中で、新しい法則を発見したり、
作り出すことは機械でなく人間がすることです。

最先端は、常に人間が生み出すこと。
マンネリに陥らずに、生き生きと前進することは、
人間の人間らしいところだと思います。

多くの人が、より人間らしさを取り戻し、
その人たちの英知と努力が報われる社会になるように、
自分のできることを探して生きたいと思います。

眠っていた感性が、少しでも生き生きするように、
そんな働きかけができるようになれたらと
思っています。


------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

それは、僕には治せません。

先日、家人がうっかりして怪我をしました。

病院で治療のあとの医者との問答。

医者「他にお困りのことはありますか?」

家人「こういう馬鹿なことをしてしまう私自身が問題です。」

医者「そうですか。それは僕には治せません。」

と言われて帰ってきました。

軽妙な問答ですが、病院にお願いすることの
おおよそを示唆しているように思います。

多くの病院では、起こってしまった問題を処理しにいき、
問題の大元である私自身については、本人が取り組んでいく、
ということです。

もちろん、問題の要因には、環境と自分自身と
どれだけの割合なのか、という状況は多様です。
ただ、変化のために手をつけられるのは、
自分自身、または、自分と環境との関係ではないでしょうか。

ほとほと困まってしまい、自分が変わりたい、とクライエントさんが思われたとき
ご一緒に方向性を見出していくことができればと思います。

ちなみに、怪我の原因は、自分の足元の敷物を持ち上げて
転んでしまったとのこと。

辛くも他のトピックで「自分の足を持ち上げる
ことでは、自分を変えられない」
という話を書いていたことにつながってしまいました。
幸い、怪我は順調に治っているので安心しています。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp


0 comments

諦めない。

諦めない。ということが、最近話題に上ります。

なでしこジャパンの優勝を語るとき、退陣要求に対する管首相の態度を語るとき、震災の復興を語るとき・・。

いろいろな「諦めない」があって、ときには、賛賞され、ときには、批判されます。
中には、苦労している人に対して「どうせ可能性がないのだから、早くやめろ」と言っていた人が、
努力が実って成功したときに、「本当はできると思っていた」なんて手のひらを返すこともありますね。
特に新しいことに対しては、理解を得られないことも多いでしょう。

他人はさておき、自分はどうでしょうか。
思い通りにならないときに、諦めるのか、諦めないのか。難しいです。

今までの経験を生かした仕事が見つからない。・・諦めるのか、諦めないのか。
希望どおりの学校に入れない。諦めるのか。・・諦めないのか。
人間関係がうまくいかない。・・諦めるのか、諦めないのか。

事の軽重はありますが、いろいろな場面に、意識、無意識を問わず
選択しているのだと思います。

どんなふうに選択していけばいいのでしょうか。
話は唐突ですが、今放送のNHKのドラマ「おひさま」の場合を書いてみます。
戦後、蕎麦が入手できなかったときの蕎麦屋の主人の話です。(主人公の舅)

蕎麦をこよなく愛している彼は、
「蕎麦があればなあ」とぼやきながら、蕎麦の仕入先を探して歩き回ります。
見通しはわからないのに毎日出かけます。
つまり、諦めない。

それと同時に、
奥さんに店を開けてもらって、
うどんや煮もの、など、とにかく、何でも出してお客様に
喜んでもらっていました。
つまり、こだわり過ぎない。

本命のそばを提供できないことは、不本意でしょうが、
それでも、日々を暮らしていかないといけないし、
ひもじい思いをしている人々に喜んで欲しいという
もっと大きな命題もあるわけです。

一時的に蕎麦は諦めても、大きな目標を諦めないで
お店を続けていく。
長期的には、自分の本命である蕎麦に向って、
コツコツと努力していく。
(もちろん、お客様や家族の協力なしにはできないことでしょうけれど。)


お店を開けていることで、お客様とのご縁も続きますし、
店を運営するための、資源やノウハウも向上していくでしょう。
蕎麦に変わるよりよいものを発見するかもしれません。

そのバランスが、素敵だと思います。
自分にとっての「これだ」という確信なく、状況に対応しているだけだと
空しさに襲われるかもしれません。
かといって、こだわりすぎて状況に閉じてしまえば、
生活が危なくなるかもしれません。

「諦めない」、と「こだわらない」のどちらかだけというのは
なかなか難しいでしょう。

つまり、思い通りにならないとき、
自分にとっての大きな目標を見定め、
それを守りつつ、現状に柔軟に対処できれば、
心が折れずに、乗り越えていくことができるように思います。

諦めないけれど、柔軟に。

環境が大きく変わる最近だからこそ、
「今までどおりにいかない」ことに遭遇する方は多いでしょう。

カウンセリングでできることは、
「絶対成功する法則はこれです!」と示すことではありません。
誰でもできて、誰でも成功できることがあるなら、いいことでしょうけれど。

カウンセリングの時間に目指していることは、
ひとりひとり違うはずの、その人にとっての、「大きな目標」が何だったのか、を
今一度、見定めることを、お手伝いすることです。
普段は、忘れているかもしれない、本当の気持ちです。

それがあれば、不慣れなこともやってみようと思えるくらいの
確かな自分自身に、しっかりと手応えを感じられるまで、
ご一緒にお話することではないかと思っています。

そして、こだわりとこだわらないことのバランスも、人それぞれです。
その人にとっての、譲れること、待てること、周囲との兼ね合い、など、
微妙なバランスと納得できる方向を見出していく、
お手伝いができればと思います。

この「柔軟に諦めない」という姿勢、言うのは簡単でも、行うのは、難しいです。
妙なところで、こだわってしまったりします。
だから、利害関係のない他人が一緒に考える意味があるのだと思います。

もちろん、これを書いている私自身も、難しさを感じ、
もっと身に着けたいと願っている一人です。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

どうも、不思議です

そんなふうに、クライエントさんから、言われることがあります。

「よくなった。
それも、何かをやろうとしていないのに。

心当たりがないのに、ありたい自分にちょっとは近づいている。」

そんな話をしてくださいます。

ええ、確かに、戸惑うのも判る気がします。

そして、いつもよくなる、と確定したものでもありません。

では、気まぐれの魔法でしょうか?
そんなことなら、私だったら警戒します。
胡散臭いのか?と。
何をされているんだろうか?と。

私なりに、種明かしをしてみます。

ここで、何か困ったときの一般論を振り返ります。
多くの場合、問題を解決しようとすると、
問題を観察、原因追及、分析、対策の計画、対策実施。
というような作業をすると思います。

そういう問題解決の態度は、物を操作するときには、とても効果的です。
だから、そういうやり方にみなさんが慣れていて、
こころの問題にも当てはめようとします。

慣れ親しんで、効果的となれば、同じやり方を
したくなるのもわかります。
また、それでうまくいくこともあるでしょう。

ただ、特に自分自身の心の問題になると、
その態度ではうまくいかないことがあります。

それは、問題を解決しようとしている、張本人である「自分」が、弱っているからです。
例えば、自分を元気付けようとする「自分」、その本人に力がないからです。
自分を上に持ち上げるために、自分の足を手で持ち上げても、
自分本体が上空に飛ぶわけではないのです。
お腹も頭も相変わらず、今までのままです。

これが水の中だったら、足を上げるほどに身体が沈みます。

このたとえで、足というのが、表面的な問題です。
表面的問題を一時的に解決しようとしても
本体の自分が消耗していれば、すぐに他の
トラブルに巻き込まれかねません。

さまざまな問題解決法は、自分が自分を操作する、という構図になり、
いってみれば上のような限界を持っていることになります。
でも、通常の問題解決法に対する信頼が強すぎて、その限界に
なかなか気付けないことが多いので、苦しいことが長引くことが多いようです。

「本を読んでいろいろやっても駄目でした。長続きしないんです。」
そういう経験は、もしかすると足を持ち上げるような
ことをしていたのかもしれません。

こころのことに取り組むときに、ちょっと切り替えてみるといいかもしれません。
自分という全体が、ジャンプできるようになれば、頭も足も全部が跳べるのです。
誰かの上に乗るのでもなく、自分自身がジャンプする。
足だけ持ち上げるのでなく、全体がジャンプする。

本来したいことは、そういうことなのだと思います。

カウンセリングの時間は、その方にとって、
「ジャンプ」というのが何かをご一緒に見出し、
ジャンプに集中できるよう、余分なことを手放す
手伝いをさせていただこうとしています。

もちろん、いつでも集中できるかどうか、やってみないと
わからないですが、それに向けて、力を尽くすということだと
思います。

そして、夢中になって、ジャンプしているとき、
「何かをやろう」とする意図すら感じられないので、
「やろうとしないのにできていた」ということが
起こるのだと思います。

そんなふうに見えるものですから、
ご本人が不思議に思うのもわかりますが、
私が魔法とか、超能力があるから、とも
思えません。
しいて言えば、ご本人が変わろうとしているのか、
足だけを持ち上げようとしているのか、とか、
そういう非日常の視点を持っていることで、
本当に集中したいことに向う手伝いをしやすいのかもしれません。

ただ、うれしそうなクライエントさんにお会いできて
うれしいと思います。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

「前向き」の落とし穴


「前向き」にもいろいろあるように思います。
仮にここで、悩まない態度、としておきます。
そういう方は、カウンセリングをご利用されません。

ところで、ちょっと意外かもしれないのですが、
多くのクライエントさんとのお話し合いの経験から
悩むことは、確実に成長の肥やしになると思います。
悩んでいるときには、快適ではないし、体力も使います。
でも、確実に進化につながるようです。

その意味で、「悩む力」のある方は、器が大きくなるようです。

ところが、悩めない方もたくさんいらっしゃいます。
問題がなければ、悩む必要もないので、
それはそのままでいいのですが、
問題が迫っていても、すでに危険であっても、
悩めない方もいらっしゃる。

例えば、そこそこに成功している方は、「前向き」で、
悩みを遠ざけることが多いようです。
成功体験は、自信につながりますが、
せっかく成功したことを、手放したり、否定したりするのは、
辛いことだし、不安になることもあるのでしょう。

そのような保守的な姿勢になってしまうと、
内省するきっかけを得にくく、大きな転換はしにくい。
そのうちに環境が変化したときには、
適応しにくくなっていることがあります。

そういう意味で、強みがあるということは、却って、
本質に光を当てにくいことがあります。

強みは、弱み。

誰でも「過信」という自覚はなかなか持ちにくいと思います。

そこで、隣にいる身(カウンセラーとしてでなく)としては、
問題共有を提案したくなるのですが、
受け入れていただけるような問いかけが難しいと思うことが
しばしばです。

過信の危険を十分に踏まえたうえで、無心になれる方は、
いろいろなご苦労のご経験のある方だと思います。

防衛戦をする勝者でなく、常に挑戦者でいられるなら、
強さが弱さになることはないようですね。
そういう態度を本当の前向きと私は呼びたいと思います。
それは、成功した過去の自分にとらわれず、
悩む(問題と直面して変革する)ということです。
そういう「悩む」はすでに、身体へのストレスは
むしろ少ないように思います。

ただ、本当の前向きになることは難しいことのようですし、
隣人としての投げかけも難しいです。

本当は、どこかで不安を感じていながら、
問題として直面するのは、確かに勇気がいることでしょう。
私は、その心細さを分かち合いつつも、
問題にご一緒に取り組めるようになりたいと思います。

問題に踏み込めずに「前向き」な方々と共に歩いていけるような道を
まだまだ探している、そんな日々です。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp


0 comments

え、こんなんで、いいの?


問題を乗り越えたくて、ずっともがき苦しんでいたクライエントさんが、
あるとき、「なんだか、わからなくなりました。」というようなことをおっしゃることがあります。

お話を聞くと、今までよりもずいぶんと楽に、日常全般を過ごしていらっしゃる様子。
言葉の端々に、「自分を取り戻せた。」とおっしゃるものの、
でも何かぴんとこないらしくて、「こんなんで、いいのかしら?」と戸惑うご様子。
そのくせ、戸惑いながらも、肩の力が抜けていて、どこか風通しのよいご様子。
接している私もどこか、のほほんとする感じです。

やっとトンネルを抜けたのでしょう。
ちょっと、一区切りつけた様子です。
でも、それは、とても自然に自分に戻ることだから、
あざとくはないし、力んではいないから、
案外、「拍子抜け」してしまったりするようです。

「私、困難を克服して、こんなに高いステージに到達したのだわ!
がんばったわ!
すごいわ!
すごいでしょ!」

などという
自意識など入り込む余地のないほどに、
ごくごく自然に、自分が自分でいることに安心していらっしゃるご様子。
誰かにほめてもらう必要のないほどに、自分で自分を認めていらっしゃるご様子。
自分で自分を疑ったり傷つけたりしない、そういうご自分になっていらっしゃるご様子。

今まで長かったけれど、たどり着いたのですね。

一種の悟りと呼ぶ境地だと思います。
でも、自覚としては、「ただの私。」みたいです。
その「ただの私」で安らかにいられることの尊さと神々しさは、
案外、他人だから感じられるものかもしれません。

そのすばらしいときにご一緒させていただけて、
本当に感謝です。

お誕生日、おめでとうございます。

人は、生まれ変わることができる、といえると思いますが、
まったくの別人に生まれ変わるのではないようです。
「ただの私に生まれ変わる」といったらいいのでしょうか。


------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

つい、いじってしまう

おもちゃをいじるのは楽しい。

ものが自分の好きなように操れること、その結果が見えること、
対象は人さまざまだけれど、そういうことが何かのよろこびになっているようです。


悩んでいるとき、自分に取り組むとき、無力感に打ちひしがれているときに、
自分をいじり始めてしまうと、どうもうまくないようです。

かさぶたをとるときれいに見える皮膚がでてくるように、
何かをやっているつもりになれるのですが、
実は、じっくりと新しい皮膚が育っていくことを邪魔してしまうことがあります。
気になるからどうしてもいじりたくなってしまうのもわかります。
ただ、却って、回復が遅れてしまうのは、トータルには、もったいないように思います。

あせりや不安から力みすぎて、解決に向けて、いじるのでなく、
かすかでもしっかりと変化をしつつある、その息吹を
見守れるように、お手伝いしたいと思います。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp



0 comments

元のところに戻るとき

学校に、職場に、サークルに・・・・

いろいろな場合があると思いますが、
とにかくしばらく休んで復帰(復学、復職など)するときのことです。

一気に慣れようとしない、挽回しようとしない、
あせらないでいきましょう。
「わざと、ゆっくり。」くらいでちょうどいい。

「前は、もっとできたのに」と前の自分と比較しがちですが、
「あ、今、比較したなあ」と思うだけで、その続きはやめましょう。
まずは、慣れていくことが先決です。
自分のプレイをせずに勝負は始まりません。

たとえて言えば、休む前は、高速道路を走っているような状態です。
長い時間をかけて少しずつ加速してハイスピードになっていたのです。
流れにのって走っているときには、そんなにスピードが出ている感覚はないでしょう。
でも、自覚がないだけで、流れでこなせていることは、本当はたくさんのことをやっていたのです。

だから、一度休んだあとに戻るなら、
また、少しずつアクセルを踏みましょう。
ひとつひとつ意識してやるのですから、簡単には、増やせません。
10メートルくらいの短い区間で高速に乗ろうとしては、
事故を起こしかねないでしょう。

確認しながら、流れにのっていけば、無理なく、ペースをつかめるでしょう。

あせらないで、時間を味方につけましょう。
周囲の印象が気になるかもしれませんが、
だんだんと慣れてくれることでしょう。

走らない勇気が、本来の実力発揮への近道を導いてくれるでしょう。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

「あとで、ふと思ったんです。」

何をどうしたら変わるのか、とさんざん悩んでいるときには、行き詰っているのに、
なぜか、ふと、思うときには、動けている、ということがあります。

カウンセリングの最中に「あ、そういえば」というのが起こることもありますが、
終わってから、次回までの間に、ふと気づくことも多いようです。

カウンセリングの時間に気づきの
ウオーミングアップができたのかもしれない、と思います。

ドラマのシナリオと違って時間内に何かの結論が出なくても、
ウオーミングアップが進んでいれば、ちゃんと目指す方向に
向って、無意識でも何でも動き出すことがあるようです。

一見するともっともらしい結論などないほうが、
却って今までのことにとらわれない
深いものが見えることもあるくらいです。

効果や効率を気にしすぎて、早く片付けようとすると
却って自分に合わない無理な方法を選んで裏目に出ることがあります。
今の自分にあったものをしっかり見極めること、
それが、長い眼で近道になるのだと思います。

つまり、カウンセリングの時間にしているのは、
問題の解決法のアドバイスでなくて、ウオーミングアップです。
では、それはどういうことなのでしょうか。
今の自分に合うことを見極めるとは?

感性、感情、理性、信念、身体、状況、情報・・
さまざまなものが統合していく方向に動いていく、
それが整っていくベース作りとでも呼びましょうか。
何気ない会話の中で、進んでいくことといえば、
そんなことだと思います。

他の誰でもない、私、になっていく、といってもいいように思います。

形は問わず語りのようで、とりとめのないことをしているわけです。
「これをやろう」と意図せずとも、できていくことと。
説明すると難しそうですが、説明がなくてもできることだと思います。
できるように、しやすいようにお手伝いしていきたいと思います。


------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

「できない」のか「しない」のか

昨日、母と一緒に、老人ホームにいる父を訪ねました。

夏祭りのイベントで賑わい、父も機嫌がよさそうでした。
めったに食べられないカレーを屋台で買って外で食べるなんて、とても楽しい。

父は、うれしそうにカレーを食べ始めました。
でも正確に言うとライスを食べています。
すぐに母は、父からスプーンを取って、ライスにカレーを混ぜ始めました。
「よく混ぜて食べなさ~い」

父は、スプーンをすぐに取り返して白い部分を食べます。
また母が混ぜようとしますが、父は、すぐにライスを食べます。

私は、ほほえましいと思ってみていました。

帰り道、私が、

「よっぽど白いご飯が食べたいみたいで、
混ぜようとしたスプーンを取り返して、
がつがつ自分で食べてたね。
おいしかったろうね。」と言うと、

母は、「あ?・・」と驚きました。

「混ぜられないのかと思って、代わりに混ぜてあげたの。
おいしいカレーを食べたらいいと思って。

でも、思えば、いつもは、ホームでおかゆしか食べられないから、
普通のご飯がうれしかったのね。そうね。
ずっと前から、白いご飯が好きだったものね。
そうだったのね~。

今度、普段もご飯にしてもらえるようにお願いしてみるね。」

混ぜることが、できなかったのか、しなかったのか、
真相は、父しかわかりませんが、
同じ場にいて、こんなふうに見立てが違います。
この場合は、いつものメニューや本人の嗜好とすり合わせて、
「しない」と見るほうに意見がまとまり、今後の方針が決まりました。

もっと複雑な問題になれば、そんな簡単にいかないことが多いです。
「好きなカレーを食べて欲しい」という思いが強すぎてしまうと
そのときの「白い飯を食べたい」という本人を理解できなくなって、
的外れの手伝いをしてしまう恐れがあります。

援助を求めている方のお手伝いをするとき、
問題とか、困難とか、そういう困ったことがあって、でも、そうせざるを得ない、
ご本人の背景にどこまで沿って、ご一緒に考えていけるのか?

そういうことは、いつまでも、ずっと取り組み続ける課題だと思います。

本を読んでも解決しなかった問題を、「誰かと一緒だったら
なんとかできるかもしれない」と思って会いにきてくださるのがクライエントさん。

ご一緒するというのは、問題でなく、問題を抱えていらっしゃるご本人と
共に歩いていくことだと思っています。
------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

いい人でありたい

自己中心はよくない。
わがままで迷惑をかけてはいけない。
思いやりのある、やさしい人にならないといけない。

周囲を大事にしたい。
・・そういう思いを持つことは、非難されるような、筋合いのことではないと思います。

ただ、それに没頭しすぎてしまうと、時にはバランスがうまくなくなることがあります。

「自己中心は駄目」に集中しすぎて、それを中心に動くばかりに、
他が見えなくなってしまうことがあるなんて、
なんて、もったいないのでしょう。

せっかくの思いであっても、その思いを持っている「自己」中心になっては、
そもそもの思いであった「自己中心はよくない」をやってしまっているという、
本末転倒に・・。
なんという皮肉なことなんでしょう!

さらに厄介なことに、やっているその瞬間には、そういう自覚が持ちにくいので、
困ってしまうのです。

もしも、そういう事態を減らしたいと思うのでしたら、ヒントを。
「あの人、わがまま!」とか、
「絶対に自分はだめ!」と

強烈にこきおろす瞬間、

そう思う「私」ってもしかして、自己中心になっている時間かもしれません。

猛暑の与太話。考えようによっては怖い話になるかもしれないですね。

------------------------------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

このブログについての紹介

はじめまして。
カウンセラーの竹田雅子です。
数え切れないほどのブログの洪水の中で、こちらに来ていただき、ありがとうございます。

1993年からI&Iカウンセリングを運営しています。
西洋発の人間性心理学を基盤とし、東洋思想を学びながら、日本の今におけるカウンセリングを日々模索しています。
お会いする方々は、学生から定年後の方まで、主婦、会社員、経営者、などなど、いろいろな方々。

ここ数年は、役所の仕事として、ひきこもりといわれている方やその保護者の方々とあう時間が増えています。

カウンセリングを中心に日々思うよしなしごとなど、ぽつり、ぽつりと書いていけたらと思います。
自分に必要なメモもありますし、他の方のヒントになってもらえたらいいと思うこともあります。

それぞれの人が持っている力が花開くことをお手伝いし、
いろいろな人が共に生きていくことのできる世の中になることを祈っています。

I&Iカウンセリング HP・・http://www.iandi.jp/
問い合わせMail・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

なんだかわからないけれど

カウンセリングは、常に未知の世界への挑戦だと思います。

昔のドラマで刑事が撃たれたときに、、
「なんだ、こりゃあ!」という、せりふがありましたが、
まさに自分に起こっている新しい出来事は、今までの経験では判断できないでしょう。

それが本当のことだと思うのです。

私たちは、日々、新しいことが起こっていても、
いちいち対応するのが大変なので、無意識に流してしまうことが
多いと思います。
それは、それで、効率などいろいろいろと便利です。
それでも、あまりに大きな変化が起こったときには、「なんだ、こりゃあ!」です。

その「なんだ、こりゃあ!」を変にいじくって、
今までと同じことにしてしまうのは、いろいろと無理が生じます。
「なんだ、こりゃあ!」と気づくということは、
そろそろ、眼を向けても大丈夫、という知らせのようなものかもしれません。

新しいことはそのこととして、そのままに理解して、
一歩踏み出せるようになる、
そんなお手伝いができるようにしていきたいと思います。

但し、理解にもいろいろな様子があります。

言葉にできることもあるでしょうが、
他人に明確に説明できなくても、極端な話、自分でもわからなくても、
今までの気分とは変わって、新しい状態に移っていければ、動けるようになれば、
それで十分だと思います。

クライエントさんの言葉で、
「何がどうだか、わからないんだけれど、動けていました。」
「なんだか、最近は、お酒を飲まなくても、眠れるようになりました。」
そんな言葉に接すると、ご自身の中の交通整理がちょっとでもできて、
進めるようになったのだなあ、と思います。

問題だけに焦点を絞りすぎず、わき道、寄り道、四方山話の
問わず語り、のような、カウンセリングの時間は、
無駄な時間のまったくない、
歩みになっているなあ、と思います。

-------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

ひきこもりと専門性

ひきこもりとは何かの議論は横において。

昨今、いろいろなサービスは、「あれができます」とか、「この目的で」と、専門性を打ち出すことが多いと思います。
カウンセリングもよく専門分野を聞かれるので、そういう区分けが普及しています。
もちろん、そのメリットはたくさんあります。

が、担当者にとっての基準があるだけに、生じている現象もあります。
「こういう悩みで相談してもいいのでしょうか?」という質問に現れているように、
サービスを提供する側の思いとの一致があるかどうか、で利用者は、心配することもあります。
極端なときには、「たらいまわし」にあったり、肩身の狭い思いをすることもあるようです。
何度も繰り返しているうちに、
誰にも相手にされない、支援の対象にもならない・・。
そういう思いが浮かぶことは、やりきれない思いがします。

行くべき場所(学校、職場、その他の居場所)を見失った方々
(そういう状態をひきこもりと仮に名づけているとしましょう)とお会いしていると、
そういう「基準を個々に適用する」という考えの「とばっちり」を受けているような気になります。

ひとりひとりの存在は、「規格外」というレッテルを貼れるものでないと私は考えます。
今、困っているそのままの存在からスタートして、
未来を一緒に方向付けていく、そんな時間のお手伝いをしていきたいと思います。

---------------------------------------------
I&I カウンセリング 竹田雅子
メインHP・・http://www.iandi.jp/
お問い合わせ、ご意見・・m-takeda@egriders.co.jp

0 comments

はじめまして

はじめまして。カウンセラーの竹田です。このわかりにくい場所まで、来ていただいてありがとうございます。プライバシーの問題があるので、日常業務のことをそのまま書くわけには行かないのですが、ぽつり、ぽつり、と、私自身の思いとして、浮かんでいることを書けたらいいかと思います。どうぞよろしくお願いします。

0 comments